言わずと知れた村上春樹の代表作。
30代になった主人公ワタナベが大学時代の濃い思い出を回想するという物語です。タイトルに『性と死』と書きましたが(誤字じゃないです!)、その通り若い男女の性と死についてテーマにしている小説です。
登場人物の総まとめ
主要な登場人物をサラッと。読んでない人にわかりやすく。
ワタナベ
本作の主人公。やれやれ系の男子。大学時代、そこまでハンサムではないがなぜか女の子にモテる。直子と恋人関係になるが、直子が療養で施設に。直子と離れている間、緑と出会い徐々に親しくなるが、直子のことをずっと思っている。ビールばかり飲んでいる。手紙魔。
直子
本作のヒロイン。幼馴染で恋人だったキズキをなくしてから何かを失ってしまう。キズキの親友だったワタナベと再会し、話をするようになる。施設に移ってからは、見舞いにやってくるワタナベと恋人になる。
キズキ
直子の恋人でワタナベの唯一の友人。なんでもできる完璧な人間として描かれていたが、実は陰で悩み努力していた。高校3年時、自宅のガレージで自殺する。
緑
ワタナベが知り合う女性の一人。同じ講義を受けている坊主頭の女。かなりエロくて変態チック。また話が長い。実家が書店で父親が病で入院している。
レイコ
直子が療養している施設「阿美寮」で一緒に暮らしている女性。音楽の才があり、施設でピアノやらギターやらを教えている。煙草の似合うかっこいい女性。直子のよき理解者。
永沢さん
ワタナベと同じ学生寮にいるハンサム男。東京大学法学部に在籍し、頭が切れるが極端にこだわりが強い。本の趣味が似ていることやこだわりが強いことで、ワタナベには一目置いている。ワタナベが大学で親しい人間の一人。
うーん!個性的ですね。こうやって見るとなんかラノベっぽいな。
普通だと言うけれど全然普通じゃないワタナベ氏
この小説では主人公ワタナベの一人称で話が進んでいきます。自分のことを何の特徴もない普通の人間と言っていますが、そんなことはない!
やれやれ系で感情の波が少ないですが、強いこだわりや偏見が多く、ワタナベ同様個性的なキャラクターとの会話ではクスッと笑わせてくれることが多かったりします。
女の子が一生懸命しゃべっているところでも「やれやれ」や「ふむ」の相づちで終わらせたり、独特な言い回しをしたりと僕が見る限りワタナベはかなり変わった人間です。
どんな人間でも性についてや死についてを深く考える機会が必要だということを感じますね。
特に必要のない登場人物

物語は長編で会話が多かったり情景の描写や説明、回想がふんだんに盛り込まれています。とにかく登場する人の数が多い。
ワタナベが一夜を共にする女性だったり、バイト先の店長などどれも個性的に書かれているので重要人物なのかなぁと考えていたらそうでもなかったり。
その代表が突撃隊です。
突撃隊とは、ワタナベが寮生活をするときに同じ部屋になったルームメイトです。坊主頭で学校に行くときは学生服を着るなど特徴盛りだくさんの男の子。
人と話すときにごもごも、潔癖なまでに綺麗好きなところがあったり。こんな個性の強いキャラクターが物語の途中で急に姿を消すなんて想像もしませんでしたね。
ワタナベとはいい関係に見えてみました。そう、ギブ&テイクってやつです。
綺麗好きで変わり者の突撃隊は部屋を綺麗にしたり話の相手になる。ワタナベは突撃隊の面白い行動を話のネタにして周りに提供する。あれ?ワタナベしか得していないや。ま、いっか。
そんな突撃隊がサラッといなくなる直前、蛍をワタナベに渡す話は印象に残っています。夏の情景が浮かんでとても綺麗でした。
そう。この物語ではサラッといなくなったり突然死んでしまったりするんです。読んでるときは「まさかっ」って感じでハッとしますね。
直子が自殺した理由
あなたも経験したかもしれません。読んだ後にモヤモヤするのは直子の自殺についてだと思います。
施設に入って回復に向かっていたけれど、阿美寮では専門的な治療を受けられないので別の病院へ。そこではすっかり元気になってワタナベと一緒にハッピーエンド。この淡い希望をまとった予想は外れてしまいます。だって小説の最初から直子が死について匂わせているんですもの。
死は生の対局としてではなく、その一部として存在している
『ノルウェーの森』より引用
キズキの自殺は生の一部としての死と向き合うこと。そして自分がおかしくなったと感じた直子は生きることと死ぬことの狭間で苦しんでいきます。ワタナベと再会することがきっかけで。
直子が正しいと思う行動と、ワタナベが提案する『阿美寮を出て一緒に暮らそう』のギャップの中で苦しんでいくのです。直子はワタナベを『理解者』として考えていたのかもしれません。だって直子は、ワタナベのことを本当の意味では愛していませんでしたから。それでも恋人になり一夜を共にしたのは、信頼や親近感(キズキを失ったことを理解できるから)から来ているのでしょう。
そしてワタナベは直子に手紙を使って選択を迫ってしまうのです。結局のところ、それが直子の考える『正しいと思う行動』とは逆でワタナベに頼るのは『正しくないこと』なのです。ですが直子はその考えと現実のギャップに苦悩し自殺してしまうと考えます。
正直ここらへんはどんな解釈も成立してしまいます。僕の場合はこれが一番しっくりくるかなぁと。
なぜレイコさんとワタナベは寝たのか
レイコさんとワタナベ。直子のよき理解者であるレイコさんとワタナベは、直子が自殺した後に再会します。直子の自殺したときの後日談を語るうえで必要になるシーンですが、なぜか二人は寝てしまいます。あれ衝撃的ですよね。
あれはワタナベがこれから生きていくうえで重要な通過点になっていたのだと思います。緑を大切にしたいと考えるワタナベが直子を忘れずに生きていくうえで重要だったのだと。
次の章に最後の考察を書きますが、そこにもつながっているのではないでしょうか。
緑と一緒になってハッピーエンドなのか?
物語のラスト、直子が自殺してからワタナベは何も考えず旅に出てしまいます。何をしたいのかどこに行きたいのかも考えずに。
ここのシーンは、直子がワタナベの元から姿を消したシーンに重なって見えました。生の一部である死を受け入れることができないでいる。この感情がピッタリだと思います。
ワタナベもまた、直子と同じように深い森に迷い込んでしまったのです。
東京に戻っても何をするでもないワタナベはレイコさんと再会していろんな話をします。そして一緒に寝る。これもまたワタナベが直子にしたことと同じように。
そして最後の一ページではワタナベが緑に電話をかけます。会って話をしたい、二人で最初から始めたい、と。これもまたワタナベが直子に求めていたことに重なりますね。
決定的に違うのは、『ワタナベは緑と一緒にいることを選択した』ということです。彼は今まで生と死の狭間で苦しんでいる人をたくさん見てきました。そして自分にその番が巡ってきたのです。

回想で進む物語の冒頭、37歳になっているワタナベは20年間生き続けることができています。自殺を選ぶことなく。生の一部である死とは、彼が経験したそのもののことだと解釈しました。そう、選択を間違えば死が待っているのです。
勝手な解釈ですが、『正しい』や『正しくない』だけで選択を迷わずに生き続けられたのは緑を選んだからだと思います。
ベストセラーのこの作品。答えが見えないからこそ考察が楽しかったです。皆さんはどう考えますか?
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